山羊の庭

X(旧ツイッター)に書くには長すぎる呟き

父と会う

前職を辞める時に「うちは大分人間的な生活ができる会社だと思う。これから大変なこともあるだろうけど、頑張って」と上司に言われた。

私もそう思っていた。有休もよく消化できたし、テレワークも出社も使えたし、前職は初任給が良すぎるせいで役員にでもならない限り昇給が微々たる額すぎるということ以外は、給料に不満もなかった。

 

今の職、先月の残業が96時間。人間的な生活ができない激務ってこういうことかな!?と思う。

ちなみに、違法な残業なので「定時で帰ったということにしてくれ」と交渉されて、給料明細上の残業時間はせいぜい60時間ぐらいになってる。休みも削られるし、前日までころころ変わってしまうせいで、予定がなかなか組めない。

世の中にはもっとも~っと大変な労働環境の人がいると思う。知り合いにも200時間の人がいるし。

この労働環境に身を置いて身近に感じたのは父親だった。

 

 

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職場の前は海が広がっていて、出勤の前の心を癒してくれる。

晴れている日は、海を1曲分だけ眺めてから出勤する。職場の前なので後ろを同じ職場の人がたくさん通ってると思うので、どう思われてるのかちょっと怖い。聞いたことはない。

 

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雲の無い日も良く晴れた日もそれぞれの味

 

先月、久々に父親と食事をした。

父とは、もう10年以上離れて暮らしている。ここ10年ぐらい、父親は東海~西日本で仕事をしている。

父親は1年に数回、東京にある祖母の墓参りをしにきたり、出張で東京まで来る。その時に、わざわざ横浜まで出てきて私と食事をする。

私がたくさん食べると父親は喜ぶ。私はいつもハンバーグとラム肉のセット、ライスにスープもサラダもつけてもらう。父親はハンバーグとステーキを食べる。

 

私は父親のことが好きだけど、一緒に居ると何を話していいかわからなくて気まずい。

父親は良い父親だと思う。

男手ひとつで私を育ててくれたし、甘やかされていた。

それに、頑張って私の親権を取ってくれた。父親が親権を取るのはとても大変、という話を聞くたびに、確かに父親に愛されていたのだと感じる。

それでも、私が人生で一番絶望していた時に助けてくれなかった、という一点で、どうしても実家に帰ることができなくなった。親不孝者だなあと自分のことを想う。

 

父は転職したことを知っていたので、「新しい仕事はどう?」と聞いてくる。

「忙しいよ。でもお父さんも忙しいでしょ」

「まあ。3月に大きい仕事があるから、今月は休みが6日間しかなかった」

今なら月に6日しか休みの無いしんどさがとてもわかるので、出来る限りの言葉を尽くして、父親をねぎらった。(言葉オンリーで申し訳ないが…)

 

父親は小さい時から朝早くから夜遅くまで仕事をして、家に帰ってきてからも仕事をしていた。本当に何十年も忙しく働いていて、同じ社会人として尊敬する。

私と父親が二人暮らししていた時は、父親も30代前半だった。今の私とそう変わらない年齢。

友達もいただろうし、趣味だってあっただろう。

月数回の貴重な休みを、自分の休息や趣味でなく、娘の世話やら何やらに費やさなければならなかった男盛りの数年間のことを思うと、感謝というよりも申し訳なさのほうが立ってしまう。

そんな…青春の貴重な時間を……仕事と子育てに追われて…………!?!??!

 

父親とご飯を食べて、横浜駅で別れる。

「最近墓参りできてなかったし、●●に会えたし、良かったよ」と言って、じゃあね、と手を振る父。何もしなくても、私に会うことを用事にしてくれる人間。これが父親なのか。